〈その3 J・D・サリンジャー〉
A Perfect Day for Bananafish/まるでバナナフィッシュの一日/バナナフィッシュ日和
〈その4 J・M・モンゴメリー〉
Anne of Green Gables/少女がここに生きる/夢みるアン
A Perfect Day for Bananafish/まるでバナナフィッシュの一日/バナナフィッシュ日和
〈その4 J・M・モンゴメリー〉
Anne of Green Gables/少女がここに生きる/夢みるアン
〈その6 エミリー・ブロンテ〉
Wuthering Heights/嵐が丘/嵐が丘
(その7 エドガー・アラン・ポー〉
The Fall of the House of Usher/アッシャー家が崩れ落ちる/アッシャー館の倒壊
Wuthering Heights/嵐が丘/嵐が丘
(その7 エドガー・アラン・ポー〉
The Fall of the House of Usher/アッシャー家が崩れ落ちる/アッシャー館の倒壊
(紹介文より)
新聞の書評でこの本のシリーズ2冊目が紹介されているのを見て、興味を持ちました。私に推理小説の面白さを教えてくれたのは、間違いなく翻訳ものです。コナン・ドイル、アガサ・クリスティ、ヴァン・ダイン等々。もっと小さい頃にお世話になった海外作品はいわゆる家庭小説というか児童書というか、『小公女』や『十五少年漂流記』、『エーミールと探偵たち』『大どろぼうホッツェンプロッツ』。高校生になってSFに興味を持ち始め、アシモフ、ハインライン、アーサー・C・クラーク等読み始めます。その頃は翻訳によって、読み易さどころか内容まで変わってくる、なんて夢にも思いませんでした。
それを自覚した作品が何だったか、はっきりと覚えています。アイザック・アシモフ著『宇宙の小石』。これはハヤカワと創元推理、二つの出版社から別の翻訳によって出ていました。「微笑しながら」主人公シュヴァーツじいさんが道端に落ちている人形を超えようと片足を上げたのか、「にこにこしている」人形をまたぎ越したのか。丁度同じ頃です、別宮貞徳さんが編纂した、過去の誤訳ばかりを紹介した本を読んで、翻訳に対する不信感を持ったのは。
かと言って原文をそのまま読む語学力がある筈もなく、日本での新本格のブームだの何だのが相まって、徐々に翻訳ものを読む機会が減ったまま、現在に至ります。
で、この本です。
面白かったです。翻訳する人によって、価値観が違うんですね。誤訳はともかく、読み易さを優先するか、「翻訳調」という文章を一つの文化として大切にするか。訳が分からないものもそのまま伝えようとするか、「分かるもの」に置き換えようとするか。瀬田貞二訳『ナルニア国物語』で出てくるプリンが、実はトルコのお菓子のことだった、みたいな感じでしょうか。村岡花子訳『赤毛のアン』でのいちご水が、原文ではラズベリージュースだった、というような。
対談形式で進む内容は、口調や場の雰囲気が伝わり切らないせいもあるんでしょうが、とにかく片岡さんの印象があまりよくない(苦笑;)。自分の価値観、信念をしっかり持ってらっしゃるせいか、言い切りが多くてとにかく揺らがない。実際に翻訳された文章を見ても、正確なんでしょうが読み難い(苦笑;)。鴻巣さんの翻訳文の方に、私は軍配を上げるなぁ。
どの作品を日本に紹介するか、プロデュース的なことまで翻訳家がしている、というのには驚きました。…そうか、出版社の人だけでは目が届かない場合もありますもんね。
二作目の方は、翻訳に参加する人も増えるみたいなので、それも楽しみです。