読書記録~防忘録~

読書記録です。時々、漫画やアニメにも独り言してます。

地球の長い午後 ブライアン・W・オールディス著/伊藤典夫訳 ハヤカワSF文庫 1977年

 アメリカでの出版は1962年。ヒューゴー賞受賞作品。
 ネタばれあります、すみません;

 大地を覆い尽くす巨木の世界は、永遠に太陽に片面を向けてめぐる、植物の王国と化した地球の姿だった! わがもの顔に跳梁する食肉植物ハネンボウ、トビエイ、ヒカゲノワナ。人類はかつての威勢を失い、支配者たる植物のかげで細々と生きのびる存在に成り果てていた。彼らにとって人生は危険のゆりかご、また救済は虚空に張り渡された蜘蛛の巣を、植物蜘蛛に運ばれて月へ昇ること……しかし、滅びの運命に反逆した一人の異端児の旅立ちは、やがて壮大なヴィジョンを明らかにしていく。 (裏表紙紹介文より)

 何千年もの未来、植物が巨大化・凶暴化する中で、人間は矮小し、知能も低くなっている世界。女長のリリヨーは仲間の死に対して自らの失策を認め、引退という形で責任を取る。グループの中の「大人」6人は、その定めに従って、ヒツボの莢に納まり、植物蜘蛛ツナワタリに月まで運ばれて行く。生きて月まで辿り着けたのは4人、彼らは姿が変わりながらも月世界で暮らし始めた。そこには先に月世界に渡った人がおり、地球から新たな仲間を連れてくる計画を立てていた。
 新しくリーダーとなったトイは、まだ未熟だった。仲間も反抗的だった。不運もあって、グループはツチスイドリに海辺まで運ばれてしまう。元いた森へ帰る途中、グループとはぐれたグレンはアミガサダケに寄生される。アミガサダケは、寄生した生物に知性と知識を与え、代わりに行動を強要した。今までのグループを、森を離れて新しい世界を旅するグレン、ただ一人ポイリーだけが行動を共にする。〈黒い口〉の罠に歌で対抗する村人たちに出会い、植物に繋がれて働くだけの自我のない人間ポンポンを開放する。川から海へ出て島に辿り着き、旧文明の遺物に触れる。不自由ない土地で子供が生まれ、安住を望む人間たち。だがアミガサダケは尚も世界を旅することをグレンに強いた。播種のため移動するアシタカに乗ってさらに移動した世界で、グレンたちは狼との混血人間トンガリや、人間を従えるウミツキ族のソーダル・イーと出会う。自分の子供に乗り移ろうとするアミガサダケを捕獲し、漸く自由を得るグレン。ソーダル・イーに寄生したアミガサダケは、その知識も仕入れて、この世界の行く末を予言する。リリヨー達とも出会い、アミガサダケは、さらに遠い旅をしようとグレンを誘う。だがグレンはそれを拒絶、地球で生きて行くことを決意する。…

 評論家 岡田斗司夫さんの動画で、『風の谷のナウシカ』の参考文献の一つと紹介されていた一冊。
 文章から異形の生物を想像する、という能力が衰えていることを痛感しました(苦笑;)。アニメやら漫画やら、まず絵から入ってくることに慣れてしまってますね~。この頃はラノベなら挿絵がつくし、その分映像化された時に「イメージが違う」なんてことが減りましたけど。
 世界観もあるから、今ある「何か」に似てる、という表現が安易に使えないこともあるのかな。でも蜘蛛やらイルカやらの表現は出てくるなぁ。一番戸惑ったのはアシタカで、私は初め何故か巨人のようなものを連想してしまい、いや、六本足だな、なら昆虫か、名前からしてアシタカ蜘蛛みたいな感じか、と想像物の軌道修正しましたっけ。
 世界を丁寧に細密に表現する、作者はイギリス人で、私の偏見かもしれませんが、イギリスの作家って自分が造った世界の描写がとにかく長い(笑)。「これは凄い!」と思えるか「話進めろや」と思うか、結構微妙な塩梅でした。前半よかったんですが、後半イーダル・ソーが出てきた辺りから「さっさと説明しろや」モードに入りました、こらえ性がなくてすみません; 
 グレンの最後の決断は驚きました。物語の主人公なら普通進むよなぁ。ナウシカも似たような決断をしたけれど、それは選ばれていたのは相手だ、と分かったからだし。
 翻訳が凄い、というのは今更なのですが、架空の植物の命名ってある意味大喜利、この時代の翻訳家さんたちの「何が何でも日本語にせねば」という使命感には本当に感服します。