読書記録~防忘録~

読書記録です。時々、漫画やアニメにも独り言してます。

黙示録 池上永一著 角川書店 2013年

 ネタばれというか、粗筋そこそこ書いてます、すみません;

 18世紀後半、琉球国にて。那覇ヌ市で板舞戯(イチャマイウドゥケ)の呼び込みをしていた少年を、宮廷舞踏家の石羅吾が見染める。少年の名は蘇了泉、母親の美子麻が天刑病に罹ったことから共に村を出て、最下層ニンブチャー(行脚乞食)の暮らしを余儀なくされた経緯を持つ。石羅吾から、江戸幕府の将軍の前で舞いを踊って見事寵愛を得られれば、母親の病気を治す薬を手に入れられると聞いて、了泉はその楽童子の一員に選ばれようとありとあらゆる手段を講じる。
 試験課題のカンニングからライバル雲胡への闇討ち、挙句の果ては枕営業までして得た江戸行き。薩摩、大坂、江戸とそれぞれの街の大きさ、華やかさに圧倒され、歌舞伎や能、文楽に影響を受け、雲胡と花形の座を争いながら、ますます磨かれて行く了泉の舞。琉球国の存在意義を江戸幕府に知らしめるという責任を見事成し遂げた了泉は、その待遇のあまりの変化に、すっかり慢心してしまった。
 琉球に帰り、今度は清の冊封使・徐葆光をもてなすために演じ踊る了泉。『道成寺』をオマージュした新しい形態の芸能 組踊『執心鐘入』の主役に抜擢されたが、そこで圧倒的存在感を示したのは、ストイックに努力を続けたヒロイン役の雲胡だった。
 腹立ち紛れに雲胡の許婚者・阿麻呼を奪い取り、子まで成したが、そんな家庭が上手く行く筈もない。次の演目組踊『女物狂』では、自らが捨てた母親の姿を雲胡に見出し、罪悪感から舞台の途中で逃げ出してしまう。それを咎めた義父を殺し、了泉はまたニンブチャーの身分へと転落する。
 葬式ができないほど貧しい家の葬儀や、祝日に駆り出されるニンブチャー。了泉はここで演出家としての視線を養い、彼の葬儀は評判となる。やがて訪れる母親の死、そこに呼ばれる了泉。後悔、恐怖、慟哭の中、了泉は母親の声に導かれ、知念グスクのノロの山籠りの儀式を見て、人の踊りの真髄を見る。
 開眼した了泉の舞は首里天加那志・尚敬王や雲胡の目にも止まり、了泉の子・湛瑞との再会を果たす。だが了泉は復職を断り、神の踊りの世界へ足を踏み入れる。
 清国へ赴き、徐葆光の前で再び踊る了泉。息子湛瑞との共演は、結果、湛瑞を死に追いやることとなった。
 太陽(てだ)しろとしての首里天加那志に対する月しろとして、神の舞を身につけた了泉は、尚敬王薨去した後、その魂を送るべく月しろの舞を踊る。…


 いやぁ、相変わらずのジェットコースターっぷりです。波乱万丈、物凄い勢いで流れ込んで来る情報量、これ、この作品で初めて池上さんの本を読んだりした人は、かなり戸惑ったんじゃないかしら。言葉の説明とかかなり不親切な面もあり、結局了泉の母親の病気は、今で言う何だったんだろう。
 でもとにかく、面白いことは間違いない。きっと読んだ人の大半は、途中まで『ガラスの仮面』を連想していたことでしょう(笑)。了泉と雲胡の対立や役の掴みっぷりは、あれはマヤと亜弓さんですよ、本能で演じる天才と高潔な努力家の対決! 特に江戸編のあたりのやりとりは、ヘレン・ケラーの「ウォーター!」を彷彿としました。それにしては主人公了泉が、世俗の垢に塗れた造形でしたけれど。
 後半は結構辛かったですね、自身の罪でニンブチャーに落とされる辺りはまだしも、母や我が子を喪う辛さ、それすら糧にしなければならない運命。でも何故か悲壮感は薄いのよね、底に流れる妙に陽性な感じは国民性かしら。神掛かるクライマックス、最後はちょっとほっとしたような。
 中国が文字の文化、日本が大衆の文化というのは成程、と思いました。舞を文化として外交手段に使った国・琉球、いまでも沖縄の人って、事あるごとによく踊るもんなぁ。
 どこまで史実なのかも気になりました。よしながふみの漫画『大奥』の影響で、間部詮房は目元のはっきりした女性で、将軍家継はいたいけな少女の姿で浮かんでしまいましたよ(苦笑;)。琉球使節団は勿論いたと思うんだけど、與那城王子は一体どんな人物だったのか、銀次みたいな江戸から流れ着いた瓦版屋は本当にいたのか。彼の能力は『HUNTER X HUNTER』のメレオロンみたいでしたね(笑)。
 でも阿麻呼が結局、一番可哀想だったかなぁ。望まない結婚、父親は殺され、一人息子にも先立たれて。せめて再婚でも何でもして、幸せで穏やかなその後を生きていたらいいんだけど。