読書記録~防忘録~

読書記録です。時々、漫画やアニメにも独り言してます。

少女を埋める 桜庭一樹著 文藝春秋 2022年

 2021年2月、7年ぶりに声を聞く母からの電話で父の危篤を知らされた小説家の「わたし」は、最期を看取るために、コロナ禍下の鳥取に帰省する。なぜ、わたしの家族は解体したのだろうか?――長年のわだかまりを抱えながら母を支えて父を弔う日々を通じて、わたしは母と父のあいだに確実にあった愛情に初めて気づく。しかし、故郷には長くは留まれない。そう、ここは「りこうに生まれてしまった」少女にとっては、複雑で難しい、因習的な不文律に縛られた土地だ。異端分子として、何度地中に埋められようとしても、理屈と正論を命綱になんとかして穴から這い上がり続けた少女は東京に逃れ、そこで小説家になったのだ――。

 「文學界」掲載時から話題を呼んだ自伝的小説「少女を埋める」と、発表後の激動の日々を描いた続篇「キメラ」、書き下ろし「夏の終わり」の3篇を収録。
 近しい人間の死を経験したことのあるすべての読者の心にそっと語りかけると同時に、「出ていけ、もしくは従え」と迫る理不尽な共同体に抗う「少女」たちに切実に寄り添う、希望の小説。      (出版社紹介文より)

 桜庭さんの、自伝的小説。ここまで書いて、エッセイや日記ではないのね~。
 意外でした。桜庭さんが直木賞受賞した折、お祖母様と一緒になって着物購入に走っていたお母様と、こんなに折り合いが悪かったとは。で、ここまで赤裸々に書いてしまうとは。
 精神の安定を保つ為にも、とりあえず書く、記録する(タクシーの運転手に半ばつきまとわれるくだりとか怖かったなぁ)、という作業が必要だったのかしら。自分の中で整理して、フィクションとして昇華するまでの中途作業を、読者は見ているのかも。
 で、問題は『キメラ』だよなあ。うちは朝日新聞を取っているので、この騒動を一応読んでいました。でも、桜庭さんの必死さは、この作品を読むまで気付かなかった。
 もやもやしましたね~。書かれてないことを粗筋として紹介されてしまったら、お母様の名誉は落ちてしまう、というのは分かる。では自分が書いたこと、娘に暴力をふるっていたとか、そこそこエキセントリックな性格であるということはいいのか? 規模が違うから? そんなに媒体が大きくないから? 小説を読む人は少ないから? …う~ん;
 まぁ、桜庭さんが抗議しているのは 評論での作品の扱い方についてなので 論点が違う話ではあるんですが、「母を護る」という動機については矛盾があるような気がしました。
 私の祖母もそこそこ思い込みの激しい人だったので、相手の言っていることに対しいきなり耳にシャッターが下りる、という現象には覚えがありました。母と二人、「大変な人だったよね~」としばし思い出話に浸ってしまいましたよ(苦笑;)。色々考えさせられました。