読書記録~防忘録~

読書記録です。時々、漫画やアニメにも独り言してます。

聖夜 佐藤多佳子著 文藝春秋 2010年

 ミッション系の私立一貫教育校の、とある高校三年生の4月から12月までを描いた長編。
 ネタばれしてるかなぁ、すみません;

 鳴海一哉はオルガン部の部長。礼拝の時、オルガンを弾くのが一番の部活。
 父は牧師で母はピアノやオルガンの奏者だった。
 母は一哉が幼い頃、ドイツ人の演奏者と恋に落ち、父を捨てて出て行った。母のトラウマもあって、一哉は根本の所で人が信用できない。友人もあまりいないし、恋愛感情もよく分からない。母を責めるでもない父親にも距離を感じ、礼拝堂があるような学校で、喧嘩を売るように神について議論する。
 オルガン部の活動の一環で、文化祭で曲を弾くことになった。一哉が選んだのはメシアンの『神はわれらのうちに』、宗教と深く結びついたその曲は、母の思い出と共に一哉には切り離せないものだった。
 難解な曲を形だけ弾けるようになって、それでも弾きこなせていないと感じたまま迎えた文化祭。数日前、むしゃくしゃして礼拝奏楽に弾いたELPのロックバージョンの『展覧会の絵』が気になったとかで、クラスメイトの深井が声をかけて来る。洋楽好きの深井に誘われるまま、演奏会をすっぽかす一哉。ラリー・カールトンクルセイダーズマイケル・フランクス。ロック漬けのまま夜中には、深井の兄の知り合いのやるライブを見る。
 初めての無断外泊に、祖母と父親は今まで見せなかった顔を一哉に見せた。父は、今までの思いを吐露し、別れた当初から一哉に送って来ていたという母親の手紙を一哉に渡した。
 学校本部の礼拝堂で、一哉たちオルガン部の面々は、初めてパイプオルガンを弾く。その音に、一哉は祈りを感じ取る。神ではない、イエス・キリストなんて信じていない。美しい音を、ただ、それだけを信じている。それを生み出す人々を。クリスマス・コンサートにもう一度、メシアンを演奏しようと決意する。…
 
 私、この話好きだ。
 ぐいぐい読みました。佐藤多佳子マイベスト、『黄色い目の魚』には及ばないけど、でもこれがナンバー2です。洋楽の知識はまるでないのに。
 思い込みというか誤解かもしれませんが、この作品は少女漫画に似ている気がする。主人公のモノローグがいい。以前、脚本家の佐藤大さんがBSまんが夜話『ハチミツとクローバー』の回で、「少女漫画はモノローグがキレてないと!」と熱く語っていたのを思い出しました。この作品のモノローグはすごくいい。少しずつ言葉を変えるリフレイン、後輩部員の天野がパイプオルガンに触れた時の喜び

 このオルガンを弾く喜びを、天野が俺にそのまま伝えてくれたから。俺に、俺だけに、まず俺に、真っ先に俺に。

 ラスト、一哉自身がパイプオルガンを弾いた時の高まり

 本当に大きな音の中に俺はいた。
 本当に大きな音の中に俺たちを包んだ。
 このオルガンが弾けてよかった。
 このオルガンを聴けてよかった。
 この曲をやってよかった。

 生きること。
 弾くこと。
 また弾きたいと思った。
 このオルガンで、この曲を。他の曲を。
 あるいは、他のオルガンで、この曲を。他の曲を。

 もう、盛り上がるしかないじゃない!(笑)
 でも、一番大きな舞台の前で幕を下ろすのはどうなんでしょう、作者のパターンになりつつあるような…(笑)。
 自分の心に折り合いをつけるのではなく、向き合おうとしている主人公たちは本当、眩しかったです。