奄美大島の沖合いで、茉莉花はカヤックに乗ったまま流されていた。パドルはなく、死を待つばかり。干涸びた喉に月桃(サネン)水をスプレーすると、その香に惹かれて一頭の鷲が現れた。片目の鷲は人語を解し、茉莉花に請われるままに島の昔を語り始める。
その昔、奄美が薩摩に支配されていた頃、フィエクサとサネンと言う名の兄妹がいたこと。フィエクサは身分制度の最下層に位置するヒザで、サネンは借金に縛られるヤンチュ(家人)、二人に血の繋がりはなかったけれど、山の神に誓いを立て、兄妹として一生お互いを守りきることを決意したこと。黍畑でただ働かされる辛い毎日の中、守るべき存在サネンがいたことで、フィエクサは己を保つことができたこと。
ある日フィエクサはジブンチュ(自分家)から身分を落とされたヤンチュの老人・真常アジャと出会う。無愛想で取っ付き難いアジャ。だがアジャは碁の名人で、フィエクサは彼から碁を習い、やがて碁もフィエクサを形作る一部となる。フィエクサが片目を失った時にも、彼を支えたのはサネンと碁だった。
やがて美しく成長したサネンは、薩摩から来た附役・正木和興に見染められ、奄美に居る間だけの妾アンゴになるよう命じられる。サネンはそれを受ける条件として、フィエクサを島津に上国するよう願う。フィエクサの碁は、それほどまでに上達していた。
まずは腕試しとして正木と打つ。試合の合間に、奄美と薩摩との歪んだ搾取関係が明かされる。そして正木は、フィエクサの抱くサネンへの想いも自覚させてしまう。
碁には辛くも勝ったが、フィエクサはサネンを利用してまで本国に渡る気を失くしていた。言い争うまま過失で正木を殺してしまい、サネンを連れて山へと逃げる。山の神は、自分に立てられた兄妹の誓いを破ろうとするフィエクサを許す訳には行かず、また7人の悪神に飲み込まれそうになるフィエクサを助けたいと言うサネンの願いを、聞き届けない訳にはいかなかった。
そうしてフィエクサは鷲となり、この世の終わりまでサネンを探し飛び続ける。
茉莉花もまた、肺癌で死んだ兄との依存しあった関係を、喰らい尽くす決意をする。…
その昔、奄美が薩摩に支配されていた頃、フィエクサとサネンと言う名の兄妹がいたこと。フィエクサは身分制度の最下層に位置するヒザで、サネンは借金に縛られるヤンチュ(家人)、二人に血の繋がりはなかったけれど、山の神に誓いを立て、兄妹として一生お互いを守りきることを決意したこと。黍畑でただ働かされる辛い毎日の中、守るべき存在サネンがいたことで、フィエクサは己を保つことができたこと。
ある日フィエクサはジブンチュ(自分家)から身分を落とされたヤンチュの老人・真常アジャと出会う。無愛想で取っ付き難いアジャ。だがアジャは碁の名人で、フィエクサは彼から碁を習い、やがて碁もフィエクサを形作る一部となる。フィエクサが片目を失った時にも、彼を支えたのはサネンと碁だった。
やがて美しく成長したサネンは、薩摩から来た附役・正木和興に見染められ、奄美に居る間だけの妾アンゴになるよう命じられる。サネンはそれを受ける条件として、フィエクサを島津に上国するよう願う。フィエクサの碁は、それほどまでに上達していた。
まずは腕試しとして正木と打つ。試合の合間に、奄美と薩摩との歪んだ搾取関係が明かされる。そして正木は、フィエクサの抱くサネンへの想いも自覚させてしまう。
碁には辛くも勝ったが、フィエクサはサネンを利用してまで本国に渡る気を失くしていた。言い争うまま過失で正木を殺してしまい、サネンを連れて山へと逃げる。山の神は、自分に立てられた兄妹の誓いを破ろうとするフィエクサを許す訳には行かず、また7人の悪神に飲み込まれそうになるフィエクサを助けたいと言うサネンの願いを、聞き届けない訳にはいかなかった。
そうしてフィエクサは鷲となり、この世の終わりまでサネンを探し飛び続ける。
茉莉花もまた、肺癌で死んだ兄との依存しあった関係を、喰らい尽くす決意をする。…
もう一つの大賞作品が今イチぴんと来なかったので、こちらに少々期待していました。
うん、こちらの方が好みだった。暗いのは暗かったけど(笑)。
沖縄出身の池上さんの作品が、悲劇的なものを書いているのにあんなに明るいのは、あれは個人の特性なのか故郷のことを書いているからなのか。この話が重いのは他の地方出身者が奄美の過去を描いているからなのか、どちらなんだろう。それにしても薩摩、酷いことしてるなぁ。
歪んでいようと何だろうと、愛情は愛情。受け取ることに遠慮などいらない。与えてくれるものは全て、余すことなく貪ればいい。それが相手のためでもある、そう開き直るまでの強さ。
…激しい話だなぁ。
多少の拙さはある気がしましたが、ある種羨ましくもあるような。私にはきっとできない決断の数々なので。
うん、こちらの方が好みだった。暗いのは暗かったけど(笑)。
沖縄出身の池上さんの作品が、悲劇的なものを書いているのにあんなに明るいのは、あれは個人の特性なのか故郷のことを書いているからなのか。この話が重いのは他の地方出身者が奄美の過去を描いているからなのか、どちらなんだろう。それにしても薩摩、酷いことしてるなぁ。
歪んでいようと何だろうと、愛情は愛情。受け取ることに遠慮などいらない。与えてくれるものは全て、余すことなく貪ればいい。それが相手のためでもある、そう開き直るまでの強さ。
…激しい話だなぁ。
多少の拙さはある気がしましたが、ある種羨ましくもあるような。私にはきっとできない決断の数々なので。