読書記録~防忘録~

読書記録です。時々、漫画やアニメにも独り言してます。

山月記・李陵 他九篇 中島敦著 岩波文庫 1994年

 短編集。

李陵
 漢の武帝時代の武将・李陵は、わずか歩兵五千での匈奴侵略阻止を命じられる。健闘虚しく匈奴に捕らえられ、だがその報は誤って武帝に伝わり、都にいた李陵の一族は尽く処刑、李陵を庇った発言をした司馬遷宮刑を命じられた。妻子惨殺を知った李陵はそのまま匈奴に降り、しかし心は晴れない。匈奴に降らない僚友・蘇武とも会い、我が身を振り返る。

弟子
 孔子とその弟子・子路との師弟関係を描いた短編。

 趙の紀昌という男が天下第一の弓の名人を目指して、霍山の甘蠅老師に弟子入りする。弓矢を用いず飛ぶ鳥を射落とす手技。紀昌が山を降りた時、弓さえ手に取ろうとしなかった。

 虎になってしまった旧友との出会い。

文字禍
 文字の霊について、古代アッシリア王の命により、老博士ナブ・アヘ・エリバは考察する。

 人間、妖怪の存在、自己や生まれ変わりについて疑問を持った悟浄は、あちこちの妖怪を訪ね歩く。

悟浄歎異――沙門悟浄の手記――
 悟浄の目から見た悟空、三蔵、八戒への考察。 

環礁――ミクロネシヤ巡島記抄――
 パラオでの滞在経験を元に書かれた小作品群。

牛人
 魯の叔孫豹は、色の黒い・目の凹んだ・傴瘻の我が子を引き取って小姓の一人に加える。豎牛と呼ばれた男は周囲の信頼と侮りを受け、叔一門を滅ぼしていく。

狼疾記
 孟子の言を元に、「存在の不確かさ」を思う三造の日常を描く。

斗南先生
 三造の、気難しく我儘で、しかし憎めない伯父の最期について回想する。…


 ちょっと前、高校からの友人たちと会った時、『山月記』の話題になりまして。

 「李徴ってさぁ、一気に虎になったっけ、それとも一か月くらいかけてじわじわ虎になったっけ」
 「…覚えてないわ~」
 「あれ、途中経過虎耳だったりしたのかな。李徴、萌えキャラ??」

 三浦しをんさんの書評にも触れて、ちょっと気になったので読み返すことにしました。
 というわけで、祥さん、答えは「ある晩何かに呼ばれた気がして思わず駆け出して、気が付いたら四足になってた」だったよ(笑)。
 解説によると、中島敦の作風は大きく三つに分かれるそうで。中国故事を下敷きにした作品群と、自身の南洋諸島滞在を元にしたもの、それから私小説的な小品群。
 面白かったのはやはり、表題作にもなっている『李陵』や『山月記』でしたねぇ。そういえば私、元々民話や神話、昔話の類の話は好きなんでしたよ。
 いかにも特徴のある漢文調の文章、註も数多付いている中(何しろ註釈だけに65ページが費やしてある)、でもこれは一気に読み下すのが正解でしょう。訳の分からない文言も、とにかく気にせず脇目も振らず読む。小さい頃に意味がよく理解できないまま大人向けの文庫本を読んでた、あの感じを思い出しました。
 民話や逸話の登場人物を自分なりに解釈して気持ちを添わせる。これ、もしかして二次創作の走りなのではないかしら、と思ったり(爆!)。だとすると、高校当時より面白く読めた理由もわかるなぁ(苦笑;)。
 そんなこと言いだしたら、歴史小説も二次創作になりそうですが。