読書記録~防忘録~

読書記録です。時々、漫画やアニメにも独り言してます。

青天の霹靂 劇団ひとり著 幻冬舎 2010年

 劇団ひとりの小説第二弾。
 ネタばれあります、すみません;

 「俺」轟晴夫は三十五歳。学歴も金も恋人もなく、場末のマジックバーで細々と客に手垢のついた時代遅れの手品を見せる日々。一念発起してテレビ番組のオーディションに挑戦したその日、合格の一報を待っていた「俺」の携帯電話にかかって来たのは、とあるホームレスが死んだという警察からの連絡だった。どうやらそれは、長らく疎遠にしていた「俺」の父親らしい、と。
 警察でお骨を受け取り、父親と二人の暮らしを思い返す。父親が死亡時住んでいたと言う荒川の高架下で、わが身の惨めさ、申し訳なさを思い詰めた時、青天の霹靂が轟いた。「俺」は昭和四十八年に飛ばされていた。
 とりあえずできることを、しかも未来を知っている自分に一番有利なことを。「俺」は浅草の演芸場に向かう。支配人の目の前でスプーンを曲げて気に入られて、でも喋りは下手で舞台に立つには無理があって、そんな自分に「悦子さん」が助手としてついてくれた。若くて美人で、気立てもいい。晴夫たちのコンビは大成功だったが、やがて悦子が結核に罹っていることが判明する。入院治療中の代役として現れたのが、轟正太郎。若かりし頃の父親だった。
 正太郎は晴夫が知っている通りの人間だった。不器用で上がり症で喋りも下手で、人がいいことしかとりえがない。苛立ちながらも晴夫は、正太郎と関わって行くことになる。お嫁さん、つまり自分の母親と知り合ったり、出産費用を都合したり、結婚を反対する父親と渡りあったり。どんな思いで自分が望まれ、生まれて来たのかも漸く知る。…

 ええと、いきなりネタばれしてしまいますが。
 これ、最後に父親が出て来るところがいい。芸人・劇団ひとりの面目躍如と言うか、「生きてたんかーい!」って周り中から突っ込み入りそうで素敵(笑)。ただのお涙頂戴じゃなくて、そこで笑いと救いが入る感じ。この作品、舞台に向いてるんじゃないかなぁ。
 「自分が特別な存在じゃないと気付いた」って冒頭には胸が痛くなりました。根拠のない思い上がりは若さの特権だったりするよねぇ。でも作者自身、もう特別な存在になってるだろうに、と思いつつ。ただ、TV番組で「たけしさんになりたかった」とオールナイトニッポンのオープニングを完コピしてる姿を見ると、この人の理想はもっともっと高い所にあるのかなぁとも思ったり。
 実はこの「特別な存在」と言うテーマ、映画『魔女の宅急便』にも少し入ってるんではないかな、とこっそり考えたりもしています。私あの映画、3回見て3回とも号泣したんですよね~。冒頭、キキがお父さんに「“たかいたかい”して」と言う場面でもうだーだー泣いていました(苦笑;)。あれ、「特別な存在である」と思っていた自分が砕かれる話でもあるんですよね。世間はそんなに甘いものじゃなくて、思い通りになんかちっとも上手く行かなくて、「これだけは負けない」とそれでもすがりついていたものですら、消えてしまうかもしれないようなものだと思い知らされて。
 でも父親、母親にとっては自分は「特別な存在」である。それさえ芯にあれば大丈夫。晴夫はそれを知った訳ですよね。暖かな作品でした。