読書記録~防忘録~

読書記録です。時々、漫画やアニメにも独り言してます。

無暁の鈴 西條奈加著 光文社 2018年

 武家庶子でありながら、家族に疎まれ寒村の寺に預けられた久斎は、兄僧たちからも辛く当たられていた。そんななか、水汲みに出かける沢で出会う村の娘・しのとの時間だけが唯一の救いだったのだが……。手ひどい裏切りにあい、信じるものを見失って、久斎は寺を飛び出した。盗みで食い繋ぐ万吉と出会い、名を訪ねられた久斎は“無暁”と名乗り、ともに江戸に向かう。
 吉原で死んだ遊女たちの弔いの真似事をしながら用心棒を務める、任侠の世界に身を寄せ5年。親分の代替わりで二代目に疎まれ、縄張り争いの果てに、他の組に命を狙われる。身を挺して無暁を救ってくれたのは万吉だった。万吉の死を切っ掛けに、一家総出で殴り込みを決行、無暁は人を殺して八丈島へ遠島の罰を受ける。
 あまりにも厳しい暮らしの中、様々な人と触れ合い、無暁は自分の罪を自覚した。流行り病や不作、蝗害に代わる代わる襲われる過酷な環境で、読経三昧の彼の姿は次第に人々に認められていく。捨てた、捨てられたと思っていた父や兄の働きで恩赦が下ったのは、二十二年後のことだった。
 島を出て江戸へ、さらに出羽の羽黒山へ。修験道の厳しい修行に耐え、学び、また東北の飢饉の凄まじい様子を目のあたりにする。仏とは何か、僧は、教えは何のために存在するのか。即身仏と出会い、無暁は千日行と木食修行を決意する。…


 これはまた、凄まじい話だなぁ。題名にある「鈴」がなかなか出て来ず、これは何だ、と思ってたらいよいよ後半で「即身仏」というキーワードが出て来て、何だか嫌な予感が…(苦笑;)。そう、入定塚に持って入る鈴のことでした。
 読み進めるうち、「即身仏」というものに対する当初の戸惑いと言うか何となくする厭~な感じとかは薄くなりましたが(何しろそれに伴う修行が凄くて、これを敢行するって並大抵の覚悟じゃない)、でもやっぱり、作中の登場人物も言う「いわば自死と同じ」って感覚は消えないんですよね。
 これ、モデルいるのかなあ。いそうなんだけど。
 「神道の葬式は、死んだ者の御霊を留めて、家の守護についてもらう」というのは初めて知りました。で、仏教は「極楽に送る」訳ですね。
 そうそう、巻末の参考文献に『プラム川の土手で』ローラ・インガルス・ワイルダーが載ってたのにちょっとびっくり。飢饉の描写の所かな、どこの参考になったのか知りたかったです。