読書記録~防忘録~

読書記録です。時々、漫画やアニメにも独り言してます。

黄金の烏 阿部智里著 文藝春秋 2014年

 『八咫烏』シリーズ3冊目。

 雪哉が戻った垂氷郷に、若宮が現れた。禁制の薬が中央から北部へ流れた形跡があり、その調査に直接乗り出して来たのだという。薬の名は仙人蓋、とてつもない多幸感が得られる代わり、数回の服用で人形が取れなくなるらしい。原料も治療法も分からないそれの、とりあえず流通経路を抑えようと聞き込みに回り、ようやく得られた手掛かりらしきものを頼りに最北の村を訪れた若宮と雪哉。そこで見たのは、村人たちを襲い、喰らっている大猿の姿だった。しかもその大猿は人形に変異し、八咫烏を「餌として保存する」知能まで持ち合わせている。
 その村でたった一人の生き残り、小梅と名乗る少女を怪しむ雪哉。行商人として一緒に村を訪れた父親の安否も、あまり心配している様子はない。しかも、地下街の頭領も彼女を探しているようだ。
 代わりに話し合いに出向いた雪哉は、地下の隧道を案内される。そこに雪哉の求める大猿の情報のようなものがあるのだとか。二刻の間に戻れ、戻らなければ道を塞ぐと言われた隧道の先で雪哉が見たのは、大量の骨を捨てる大猿の姿だった。だが、村を襲った猿は、このルートを通ってはいない。
 大猿はどこからやって来たのか、小梅は何を隠しているのか。やがて、中央門に繋がる大きな橋の橋桁に、小梅の父親の死体がぶら下がった。
 水売りをしていた小梅の父親、井戸が涸れてからはすっかり働く気を無くし、小梅に尻を叩かれていたという。父親が残した遺書には小梅の潔白が記されていたが、雪哉にはまだ信じられない。
 この世界に何が起こっているのか。やがて雪哉は「金烏」の真の意味を知る。…


 あの作品がなかったらこの作品が生まれなかっただろうな、みたいな、いわゆるエポックメイキングな作品、ってのを感じる機会が多々ありまして。例えば、アニメの『将国のアルタイル』見てるんですが、あの作品なんかは田中芳樹著『アルスラーン戦記』がなければ産まれてなかったんじゃないかな、と思ってしまう。綾辻行人著『十角館の殺人』以降、推理小説の出版事情も変わったようですし、あと氷室冴子さんの平安京コメディ、ってのもそれ以前、以後でのジャンルの形成の一角を担ってると思う。
 『八咫烏』シリーズで最初に連想したのは小野不由美著『十二国記』のシリーズでした(『十二国記』自体が、田中芳樹著『銀河英雄伝説』がなければ産まれてなかった、ってのは小野さん自体が仰ってましたが)。でもこの巻読み始めて、あれ、と思い始めて。これは『彩雲国物語』(雪乃紗衣著)の方が近いのかな、本道を真っ直ぐ行くのではなく、色々なエピソードを積み重ねて周囲から埋めていくパターンかな、と思ってたら、これもどうやら違うようで。
 え、これ、人間もいる世界の話なの?? 全くの異世界ではなくて?? そういう風には認識してなかったぞ;;
 読み手側として、大きくハンドルきらなきゃいけない感じ。話として面白かったんだ、面白かったんだけど、それより戸惑いが大きかった。…いや、勝手に思い込んでただけなんですけどね(苦笑;)。
 しかし、風呂敷が大きく広がった分、どういうラストで締めくくることになるのやら。雪哉もとうとう覚悟を決めて、若宮に忠誠を誓いました。 
 次巻に続きます。