イギリスでの出版は1954年。
ローマ・ブリテン時代。
マーカス・フラビウス・アクイラは第九ヒスパナ軍団の副司令官だった父の後を継いで軍人になった。父が第九軍団ごと行方不明になったブリテンへ、百人隊長として赴任する。
イスカ・ダムノニオルムの砦で地元の氏族の襲撃を受け、かろうじて撃退はしたものの、マーカスは右足に大怪我を負って退役した。叔父の家で療養しながらこれからの暮らしに迷ううち、マーカスは叔父の旧友・第六軍団総司令官クローディウスから、第九軍団の噂を聞く。曰く、第九軍団ははるか北の地で氏族に殲滅され、それが証拠に第九軍団の象徴である青銅製の≪ワシ≫が蛮族の手に落ちて神殿にまつられているのだとか。
それが真実かどうか知りたい。叶うなら≪ワシ≫を取り戻したい。マーカスは元剣闘士で解放奴隷のエスカと共に、北方の地へ旅に出る。
足を治療してくれた医師に薬の調合を教わり、旅の目医者に扮して各地を訪れるが、手がかりはなかなか見つからない。少し南に戻った砦の跡地で、マーカスとエスカは一人の狩人に出会う。すっかり氏族の男に見えた狩人グアーンは実はローマ軍人で、第九軍団の最後を知っていた。度重なる氏族の蜂起と不運、ドルイドの呪いの言葉に疑心暗鬼に駆られ、内側からも崩壊していくローマ軍。本当に父の軍が倒されていたことにショックを受けながら、マーカスはグアーンに教わった通り、エピダイ族の領地を探しまわる。
いくつもの聖所を訪ねた後で、マーカスはある村の族長の息子の眼の治療をするため長滞在をすることになる。そこで参加した成人の儀式、新しい槍つかいの祭で、マーカスはとうとう望みのものを見つけた。≪ワシ≫は翼を失くした姿で、≪ワシの神≫として崇められていた。氏族の老人から父の最期を聞くマーカス。次の日、氏族の護所に忍び込み、マーカスは≪ワシ≫を取り戻す。一旦湖に≪ワシ≫を隠し追手の疑惑を逃れたものの、もう一度取りに戻ったエスカがブローチを落としたことから、本格的な追跡を受けることになる。マーカスとエスカは無事に≪ワシ≫を持って帰れるのか。…
マーカス・フラビウス・アクイラは第九ヒスパナ軍団の副司令官だった父の後を継いで軍人になった。父が第九軍団ごと行方不明になったブリテンへ、百人隊長として赴任する。
イスカ・ダムノニオルムの砦で地元の氏族の襲撃を受け、かろうじて撃退はしたものの、マーカスは右足に大怪我を負って退役した。叔父の家で療養しながらこれからの暮らしに迷ううち、マーカスは叔父の旧友・第六軍団総司令官クローディウスから、第九軍団の噂を聞く。曰く、第九軍団ははるか北の地で氏族に殲滅され、それが証拠に第九軍団の象徴である青銅製の≪ワシ≫が蛮族の手に落ちて神殿にまつられているのだとか。
それが真実かどうか知りたい。叶うなら≪ワシ≫を取り戻したい。マーカスは元剣闘士で解放奴隷のエスカと共に、北方の地へ旅に出る。
足を治療してくれた医師に薬の調合を教わり、旅の目医者に扮して各地を訪れるが、手がかりはなかなか見つからない。少し南に戻った砦の跡地で、マーカスとエスカは一人の狩人に出会う。すっかり氏族の男に見えた狩人グアーンは実はローマ軍人で、第九軍団の最後を知っていた。度重なる氏族の蜂起と不運、ドルイドの呪いの言葉に疑心暗鬼に駆られ、内側からも崩壊していくローマ軍。本当に父の軍が倒されていたことにショックを受けながら、マーカスはグアーンに教わった通り、エピダイ族の領地を探しまわる。
いくつもの聖所を訪ねた後で、マーカスはある村の族長の息子の眼の治療をするため長滞在をすることになる。そこで参加した成人の儀式、新しい槍つかいの祭で、マーカスはとうとう望みのものを見つけた。≪ワシ≫は翼を失くした姿で、≪ワシの神≫として崇められていた。氏族の老人から父の最期を聞くマーカス。次の日、氏族の護所に忍び込み、マーカスは≪ワシ≫を取り戻す。一旦湖に≪ワシ≫を隠し追手の疑惑を逃れたものの、もう一度取りに戻ったエスカがブローチを落としたことから、本格的な追跡を受けることになる。マーカスとエスカは無事に≪ワシ≫を持って帰れるのか。…
なるほど、行きて帰りし物語の基本みたいな話なんだ。
サトクリフはいつか読みたいなぁと思いつつ手が出なかった作家さんです。理由は色々、何から読んでいいのかわからなかったし今さらな気もしたし、妙に敷居が高い気もしたし。…これはイワナミ全般に言えることかもなぁ(苦笑;)。
佐藤賢一さんの『カエサルを撃て』や『剣闘士スパルタカス』とほぼ同じ時代の話ですよね。これらの作品を先に読んでいた為か、ローマ人と言うのは私の中では「侵略者」の位置づけでして; 今さら誇りとか言われてもなぁ、と言う部分もちらっと頭をかすめたり。エピダイ族の老人が、父親の指輪を息子に返してやろうとするあたりは、おお、かっこええ、と思いましたけど。
キリスト教圏の人がこういう話を書くのは、どういう感じなのかなぁとも思ったり。自然に受け入れているのか、受け入れてやっていると言うような上から目線なのか。なかなか素直に読めませんね~;
サトクリフはいつか読みたいなぁと思いつつ手が出なかった作家さんです。理由は色々、何から読んでいいのかわからなかったし今さらな気もしたし、妙に敷居が高い気もしたし。…これはイワナミ全般に言えることかもなぁ(苦笑;)。
佐藤賢一さんの『カエサルを撃て』や『剣闘士スパルタカス』とほぼ同じ時代の話ですよね。これらの作品を先に読んでいた為か、ローマ人と言うのは私の中では「侵略者」の位置づけでして; 今さら誇りとか言われてもなぁ、と言う部分もちらっと頭をかすめたり。エピダイ族の老人が、父親の指輪を息子に返してやろうとするあたりは、おお、かっこええ、と思いましたけど。
キリスト教圏の人がこういう話を書くのは、どういう感じなのかなぁとも思ったり。自然に受け入れているのか、受け入れてやっていると言うような上から目線なのか。なかなか素直に読めませんね~;