『中野のお父さん』シリーズ、4冊目。連作短編集。
漱石と月
漱石が、《アイ・ラブ・ユー》を《月が綺麗ですね》と訳したのは、根拠のない伝説。手塚に言われた美希は、御大 村山先生も巻き込んで、当時の名翻訳談義に。それにしてもそんな勘違いが、どういう経路で広まったのか。流行歌から来たのか、お父さんは中勘助『銀の匙』を出して来る。それとも、『銀の匙』を愛読していた有名監督の作品からか。
清張と手おくれ
松本清張『点と線』について、そのトリックを《手おくれ》と評した強者がいたらしい。その対談相手を、お父さんはしっかり覚えていた。『点と線』発売当時の本格ミステリファンの動向も。
「白浪看板」と語り
女性講談師が朗読する池波正太郎の短編『白浪看板』を聞いた美希。落語が好きだった池波正太郎は落語家とのエピソードも多い。中には自作を落語として脚色した噺もあったとか。時代小説としては不自然な単語は、池波本人の筆だったのか、演じた落語家の言葉だったのか。
煙草入れと万葉集
原島先生から課題が届いた。久保田万太郎、三遊亭圓生と来て「居残り佐平次」の演目を連想し、そこに出てくる《十二煙草入れ》がずっと謎のままなのだとか。その解はお父さんから、思わぬ方向で届いた。時代と共に無くなって刷新されて行くもの、口伝として残って行くもの。桂米朝の『はてなの茶碗』の一節のように。
芥川と最初の本
漱石の友人 菅白雲は書家としても有名で、漱石の墓石銘まで記している。漱石を師と慕った芥川は、自身の最初の本『羅生門』に、やはり菅白雲の書を使いたいと思ったらしい。…
相変わらず、近代文学について知識で殴りあうような短篇集(笑)。切り捨てられたエピソードも膨大にあるんだろうな、とバックボーンが見え隠れする。いやいや、頭が下がる思いです。
「月が綺麗ですね」は私も漱石の訳だと思ってました…! え、違うの?? それにしても漱石 留学時のエピソード、月のあわれも庭石の情緒も松の風情も苔の美しさも頭から否定され続けた、ってのには、そりゃノイローゼにもなるわ、と納得してしまった(苦笑;)。『銀の匙』は私も学生時代に読みましたが、内容ほぼほぼ忘れてるなぁ。確か氷室冴子さんの『さよなら、アルルカン』の作中で出てきて、興味持ったんでしたよ。
清張先生が〆切りに追われ、でも逃亡先にも編集者からのメッセージが…というくだりには、手塚治虫が宝塚行の切符を持って最寄りの駅にいた、というエピソードを思い出しました。当時『点と線』をボロカスに言った本格ファンの中には、若き日の北村さんもいたんじゃないかしら(笑)。
米朝さんの挿話には、胸を突かれる思いでした。枝雀さん、吉朝さん、どちらの訃報も、私もよく覚えている。伝えられてるものは繋がっている。
色々お勉強させて頂きました。