読書記録~防忘録~

読書記録です。時々、漫画やアニメにも独り言してます。

読んでいない本について堂々と語る方法 ピエール・バイヤール著/大浦康介訳 筑摩書房 2008年

 TV番組『セブンルール』見てたらそこに出てきた本。
 そういえばアニメ『バーナード嬢曰く。』でも紹介されていて気になってたんだった!と図書館に予約入れました。そしたらどうも同じ考えの人が市内に何人かいたらしく、気が付いたら予約者が後ろに7人。…同志…!(苦笑;)

 翻訳物は読むの久しぶりで、文章に慣れるのに多少時間が掛かりました。…とか言いながら、しっかり内容理解してる気は未だにしないんだけど; この作者の定義によると、私の読書は全て「流し読み」に当たるんではないか、と戦々恐々としつつ。
 「読んでない本について堂々と語る」方法として、古今東西の作品の、そういう状況にある場面を色々抜き出してあって、これが本当にネタばれ容赦なし。『薔薇の名前』、『第三の男』、映画『恋はデジャ・ブ』etc.etc。私、『薔薇の名前』はそれでもいつか読もうと思ってたんですが、犯人から殺害方法から動機まで、全部バラされてしまいました。…畜生; …と思ってたら微妙などんでん返しが用意されてはいたのですが、これが本当、微妙でしたよ(苦笑;)。
 アフリカのティヴ族に『ハムレット』を説明する、というくだりは新鮮でしたねぇ。亡霊という概念がなく、夫を亡くした妻が喪に服す、という風習もないティヴ族が抱いた内容が理解できないという感想は、これも論評で、部族流の別の解釈をすれば二次創作的でもあって。
 ピエール・シニアック『フェルディノー・セリーヌ』の、二重三重入れ子構造になったややこしさ、勘違いすれ違いの妙な可笑しさ。粗筋読んだだけで「これ、もしかして『ウサギ料理は殺しの味』と同じ作者??」と察せられる個性、凄い。シチュエーションコメディだよなぁ。作者がそこまで考えてなかったことを読者が受け取る、というのは確かにある状況だと思うし。夏目漱石吾輩は猫である』が出てきた時には本当、驚きました。
 「読書の過剰は作家から独創性を奪う」「読んだら影響を受けてしまう」いや、そりゃそうかもしれないけど;
 「批評家はその教養のおかげで作品の本質をすばやく察知することができる」「非読は専門家にのみ「できる」こと」ってのは、でもそれをできるようになるには色々本読んだり何だりして教養を身につけなきゃいけないんでは、と堂々巡りの考えに陥ってしまうのですが(苦笑;)。読まずに済ますことはこの本にも言えるのでは、と思ってたら翻訳者自身があとがきで仰ってました。…そうだよね、そうなるよね。
 いや、内容自体は面白かったです。